母が好きだったユリの花 ― お盆に、家族と先祖を想う

この時期になると、実家の周辺に白いユリの花が咲いてくれます。

亡き母が好きだった花です。

毎年こうして咲くユリを見ていると、まるで母を待っているようにも感じます。

私の中で尊敬する人は父もそうですが、母もまた、心から尊敬する人です。

母は私に厳しい人でした。

でも、不思議と叱られた記憶以上に残っているのは、母から受けた強い愛情です。

私に対して理不尽なことがあったときには、本当に強く抗議してくれました。

自分のこと以上に私のことを思い、守ってくれていたのだと思います。

今になって、そのありがたさを一層感じます。

とにかく、すごい母でした。

ありがとう、お母さん。

二人の祖父のこと

お盆ということもあり、母のことを考えていると、両家の祖父のことも思い出しました。

父方の祖父は、畠中繁太郎。

畠中整骨院の初代院長です。

整骨院を開く以前には、和歌山県警で柔道師範を務めていました。

最近、その当時の任命証書も出てきました。

長い年月を経て、その証書を自分の手で見ると、祖父から父、そして私へと続いてきたものの重みを改めて感じます。

祖父とは夕飯を一緒に食べた記憶があります。

入院してからは、まだ小学生だった私が一人でよくお見舞いに行きました。

そして小学6年生のとき。

日本武道館で開催された柔道の全国大会に出場しました。

当時、祖父の状況もあり、両親は大会へ来ることができませんでした。

子どもながらに、

「絶対に負けられない」

そして、

「健心館を負けさせるわけにはいかない」

そんな気持ちで畳に上がっていたことを覚えています。

決勝トーナメントでは、最後にその大会の優勝チームに2対0で敗れました。

チームとしてはそこで敗退しました。

それでも私は、一度も負けることなく和歌山へ帰ってきました。

今振り返ると、あのときの気持ちの中にも、祖父から受け継いだものがあったのかもしれません。

母方の祖父、前田信一

そして母方の祖父は、前田信一。

和歌山県議会議員を務め、県議会議長も務めた祖父です。

こちらの祖父との思い出は、また少し違います。

小さい頃、雑賀崎にあった「コート・ダジュール」というホットドッグのおいしいお店へ連れて行ってもらったこと。

加太へ連れて行ってもらったこと。

まだ幼かったので記憶はおぼろげですが、不思議とその場面は今も心のどこかに残っています。

人間の記憶というものは面白いものです。

何十年経っても、幼い頃に大切な人と過ごした時間は、ふとした瞬間によみがえります。

先祖に恥じない仕事を

そして今年、畠中整骨院は大規模改修工事を終えました。

建物は新しくなりました。

設備も時代とともに変わっていきます。

治療や医学について学ぶ内容も、祖父の時代とは大きく変わっています。

しかし、変えてはいけないものもあると思っています。

人を思うこと。

目の前の人に真剣に向き合うこと。

自分の仕事に責任を持つこと。

そして、次の世代へつないでいくこと。

初代院長であり、柔道家でもあった祖父。

和歌山のために働いた母方の祖父。

強い愛情で私を育ててくれた母。

そして、今も現役で私を支えてくれている父。

いろいろな人から受け継いだものの上に、今の自分があります。

だからこそ、畠中整骨院の大規模改修を終えた今、改めて思います。

先祖に恥じない仕事をしていきたい。

そして、自分もいつの日か、次の世代からそう思ってもらえる人間になりたいと思います。

今年も実家に咲いてくれた、母の好きだった白いユリ。

この花を見ながら、改めて家族と先祖に感謝します。

ありがとう、お母さん。

ありがとう、おじいちゃん。

これからも見守っていてください。

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