こんばんは
和歌山市 和歌浦口バス停前 畠中整骨院院長 畠中健でございます。
今年で健心館43年目
2011年5月5日に現在の畠中整骨院ビル3階に移転して12年目
早いものです
旧道場には多くの思い出と静粛、激しい
多くの汗を流したことなど含めた楽しい思い出が残っております
ここに入ると私の中でパワースポットです
時が止まります
1980年の開館時、私が小学2年生
今だから言えますが、母は、風呂入る時水かかっただけで嫌がった私に水泳を
また私の個性を感じて野球をさせたかったようです。父も知らない話です
また、水泳の方は素質あり、小学低学年ですぐに試合出して頂き、中学部の練習に抜擢もされました。
色々な習い事で、実は嫌ではなかったけど遊びたかったので多くの習い事どれか一つにしてほしいと母にいい、私は高学年で運動は、柔道のみ習うことになりました
しかし、水泳では代表やコーチに母はむちゃくちゃとめられて将来すごい選手になるので絶対お母さん水泳させてくださいと言われたようです
大人になってから母が私に言いました
なんで、それを言わなかったと聞くと、柔道しなくなったらあかんと思ったのでと
なんと、そんな母で、父をたてて、父は母を信頼して頼り切ってました。
話は戻します
そのため
当時、父が私に柔道をさせたいその思いを察して、母が、探して近所探して、頼み込んで譲って頂いた土地、ビルが旧道場となります
奥さんに頼まれたら仕方ないわあその熱意にまけたという感じであったと思います
父が言ってました
そのため、父はこの土地を大事にしてきました
しかしながら、老朽化なども含めて新しく生まれ変わることになります
思い出の品を整理して、また記念の動画、写真を撮って記憶だけでなく記録に残して
健心館畠中道場旧道場で、指導頂いた先生方、会員、PSC会、寒稽古でも文句もなく暖かく見守って頂き応援いただきた近所の皆様
最後このステージを用意頂いた前のビルの持ち主の方、それを繋いで頂いた名誉館長と亡き母に感謝の意をこの場を借りてお礼申し上げます。
本日、ここで帯を巻くことから受け身を教わった少年が遠いところ、講道館六段になり
紅白帯になったことをその最初に私に柔道教えて頂いた名誉館長とともに写真を撮っておきました
健心館畠中道場旧道場の魂は引き続き、
健心館畠中道場現道場により強固に引き継がれていきます