母の命日

こんばんは

和歌山市 和歌浦口バス停前 畠中整骨院院長 畠中健でございます

私を育てて頂いた母が亡くなり10年目になりました

一時も忘れたことがありませんが、母に会えないのが、日常から非日常に変わるまで

3年を要しました それは、患者様に3年かかるでと教えて頂いた通りでした。

幼い頃多くの弟子の先生方が、同居しているとかもあれば、食べてから帰る時、昼は10人分近く作ってました。

ご飯のおかわりなくなってきたら開業すると言っていた記憶があります

そのため、晩年は父と一緒に各地域でご活躍されている開業された当院出身の先生ところを回りたいと言ってました。

が、その夢はかないませんでした。

健心館でも同じようなバイタリティーありました

身内を褒めるのはやり難いのですが、本当にすごい母だと思います。

経営に携わるようになりその偉大さがわかります。

今年、亡き母も知っていると思いますが、

完全に私の決心で健心館を新規受付しない

試合にも引率しない、しかし、健心館は

団体登録し続けて、私が七段目指して両親が立ち上げた健心館の火は消しません。

正直、試合で結果を残したい場合は、どこまで練習したら、どのタイミングから鍛えたら、ある程度掴んだ年代、経験値に入りました

また、柔道人口の現状は顕著なので、ここが大きな課題で、そこにもある方法が必要であり、柔道にしかできないことがあり、決して悲観しないで希望はあり柔道は素晴らしいということを伝えられる発想はあります。

なら、それを母もしなさいというと思いますが、前に健心館のブログでお伝えした通り

51歳になってからの人生は、我が子どもにかけてやりたいということで決断したことです

健心館で続けたかった、行ってみたかった子どもたちには、誠に申し訳ないことですが、

指導者である前に2人の子どもの父親であるので、指導者という立場よりも父親としての人生を優先させて頂きたいということで、

同年代のお子さんがおられる保護者の皆様は少しはご理解頂けた一年であったかと思います

母と次に会うときに、この決断を聞いてみたいと思います

今年は、母がサポートしてきた健心館館長

畠中耕作名誉館長が、講道館八段に御昇段されました

これに関しては天国から喜んでいると思います

母が頼み込んだので、譲って頂いたビル(旧道場)という場所がなければ、健心館の産声がなかったのです

また、私の柔道人生もはじまらなかった

改めて、偉大な母に感謝の気持ちをお伝えして偉大な母に恥じない人生を歩んで

畠中整骨院、健心館畠中道場を守ります

天国から母や保護者の方々がお手伝い頂いた鏡開き式で作ってくれたカレー、ぜんざい

それを一年の楽しみにして食べて大きくなり立派な社会人になったOB、OGをエールを送ってやってください

母の愛犬であった

今年17才で、9月21日に亡くなったチワワのヤワラ

今ごろ、母の顔をペロペロされているかと思いますが、楽しくまた遊んでください

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